「困っているなら言ってくださいね」
全盲でビジネスパーソンのよーすけが職場で、何度もかけられてきた言葉です。
一見すると、とても親切で、理解のある言葉に聞こえます。
だから私は、この言葉を向けられるたびに、少し考えてから、こう答えてきました。
「はい、大丈夫です」
嘘ではありませんでした。
実際、仕事は回っていました。
資料も作れていましたし、会議にも参加できていました。
けれど今なら、はっきり言えます。
その「大丈夫」は、見えない私が、見える人を前提に作られた働き方に合わせ続けた結果でした。
なぜ「困っている」と言えなかったのか。
「困っているなら言ってほしい」という言葉が本当に機能するためには、言ったことで立場が弱くならない環境が必要です。
しかし現実には、困っていることを口にした瞬間、次のようなラベルが貼られることが少なくありません。
- 特別な配慮が必要な人
- フォローが必要な人
- 手がかかる人
これらは多くの場合、善意から生まれます。
しかし一度貼られると、働き方や評価に確実な影響を与えます。
- 仕事の選択肢が狭まる。
- 経験の機会が減る。
- 成果よりも先に「配慮」が話題になる。
こうした変化はとても静かに起こるため、外からは見えにくく、説明もしづらいものです。
だから私は、「言わずに済むなら言わない」「自分で何とかできるように工夫する」という選択を繰り返してきました。
「大丈夫」という言葉の裏側には、いつも私の葛藤がつきまとっています。
働き方の中心にある「パワーポイント」という前提。
現代の職場では、パワーポイントを中心に仕事が進みます。
会議資料、報告資料、説明用スライド。
この前提はあまりにも当たり前すぎて、疑われることがほとんどありません。
では、なぜここまでパワーポイント中心の働き方が定着したのでしょうか。
背景には、大きく二つの理由があります。
大量の文字を読まない現実
一つ目は、見える人が必ずしも大量の文字情報を読むのが得意ではない、あるいはあえて読まないという事実です。
「見える人=文字情報を素早く正確に処理できる人」というわけではありません。
実際の職場では、長文を読むのが苦手だったり、要点を拾うのに時間がかかったり、文章だけでは全体像をつかみにくい人も少なくありません。
だからこそ、図やグラフ、イラスト、色分けといった、一目で把握できる情報が好まれます。
これは能力の優劣ではなく、人間の認知特性の違いです。
資本主義社会ではスピードが求められる
二つ目は、資本主義社会において「時間」が非常に強い価値を持っていることです。
競争の激しい社会では、短時間で理解できること、説明に時間がかからないこと、議論を早く前に進められることが評価されます。
その結果、「読む資料」よりも「人目で理解できる資料」が優先されるようになりました。
パワーポイントは、こうした社会構造に非常によく適合したツールです。
本質はどこにあるのか
ここで重要なのは、本質は絵やグラフそのものにあるわけではない、という点です。
本当に伝えるべきなのは、何が課題なのか、何を判断してほしいのか、どんな選択肢があるのか、といった言語化された情報です。
絵やグラフは理解を助ける手段であって、それ自体が目的ではありません。
言語でなければ、正確に伝わらないことは確実に存在します。
視覚障害がある私の働き方
では、視覚障害がある私は、どのように働いてきたのか。
ここで誤解してほしくないことがあります。
私は、パワーポイントのスライドを完璧に作れていたわけではありません。
レイアウトや視覚的な完成度については、どうしても限界がありました。
私が担っていたのは、
- 伝えたい内容の骨子を整理すること
- 論点や要点を言語化すること
- 話の流れや構造を明確にすること
そして、その内容をもとに、図にしたり、レイアウトを整えたり、視覚的に分かりやすく仕上げたりする作業を担ってくれた同僚がいました。
この関係は、甘えでも特別扱いでもありません。
- 視覚障害がある私:内容と構造を考える役割。
- 見える同僚の支援:視覚的に表現する役割。
それぞれの強みを活かした、極めて合理的な役割分担でした。
しかし多くの職場では、
- スライド作成は一人で完結させるもの
- 視覚的完成度も個人の責任
- できないと能力不足と見なされる
という前提が根強く残っています。
この前提がある限り、見えない人は常に「合わせる側」に回り続けることになります。
困っていることを正直に話すとどうなるのか
困りごとを正直に伝えた場合、「特別な配慮が必要な人」と見なされることで、仕事の選択肢が狭まり、挑戦の機会が減り、評価が対等でなくなることがあります。
その結果、当事者は「言わずに合わせる」という選択を取りやすくなります。
これは個人の性格や努力の問題ではありません。
構造の問題です。
この構造は、働き方だけでなく、支援制度ともよく似ています。
- 善意と思って作られている
- 平均的な人を想定している。
- そして想定から外れた人が「自分で何とかする側」になります。
体質を変えて働き方を変えるためには
見えることが前提として成り立っている働き方を変えるためには努力以上に大切なことがあります。
特に私たちが住む合理性を重視する資本主義社会の中では、決して簡単に実現するものではありません。
効率やスピードが優先される環境では、一人ひとりが問題意識を持って立ち止まることは稀なので、とても根深い問題です。
皮肉にも、障害がある人のように、合わせる側の立場に立たないとわからないことも多くあることも現実です。
だからこそ、これは会社側の善意や工夫だけに任せる話でも、視覚障害当事者の努力だけで解決できる話でもありません。
必要なのは、そのような社会を作り上げている人たち全員が、少しずつ負担を分かち合う制度的な枠組みです。
アクセシビリティを、特別な配慮ではなく、社会の標準として扱うこと。
それが、持続可能な働き方につながります。
見える前提の働き方を変えるためのヒント
経済合理性の観点からのアプローチ
経済的に見ても、見える前提で作り上げている働き方を変えていくことは非合理ではありません。
働く視覚障害者が増えれば、税収は増え、社会保障費は抑えられます。
長期的には、社会全体の負担は軽くなります。
老いに対する自分への投資
元気で体力もありあまっている若い人にはあまり意識されないことだとはわかっているのですが、書きたいと思います。
私たちは誰もが、年齢とともに「見える側」から「見えにくい側」へと移行していきます。
私たちの体は、年齢とともに機能低下を起こしています。これは現在の医療技術では治療はできても、止めることはできないでしょう。
70歳の人が20歳の体と体力を取り戻した話はまだ聞いたことがありません。
だからこそ、見ることを前提にしない働き方は、将来の自分自身への投資でもあります。
AI社会に備えたアプローチ
そしてもう一つ、重要な視点があります。
AIの進化によって、見えることを前提とした働き方、具体的にはスライドを作る仕事そのものが将来的になくなっていく可能性です。
すでに、骨子を入力すれば、構造化し、スライドに落とし込み、デザインまで整えるAIは現実のものになりつつあります。
そうなったとき、本当に価値を持つのは、「何を伝えるのか」「何を判断してもらいたいのか」という思考と構造の部分です。
それは、私のように、これまで視覚障害のある人が担ってきた役割とも重なります。
ところで、私たちWith Blindはこのような能力を養うための講座を開催しています。興味がありましたら、ぜひ受講してみてくださいね♪
見えることを前提とすることから脱却することで、将来に備えることができます。
最後にとても重要なことを一つ
「困っているなら言ってくださいね」
この言葉が本当に意味を持つためには、言わなくても困らない前提が必要です。
- 見ることを前提にしない。
- 工夫を個人に押し付けない。
- 役割を分解し、協働を前提にする。
これらは特別な配慮ではなく、これからの合理的な働き方だと、私は考えています。
私はこれからも、全盲の当事者として、そして仕組みを作る側として、この前提を問い続けていきます。

