【視覚障害】弱視の私だからこそ語れる「習い事での工夫」ピアノからヨガまで

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こんにちは!弱視難聴のリコです。

私は、子どものころから非常に好奇心が旺盛で、やりたいことはとことんやる!というスタンスで生きてきました。それは、「やりたい!」と言ったことを、できるかどうかに関わらずやらせてくれた両親のおかげです。

今回は、私が経験してきた習い事や部活動についてまとめました。

工夫した点や、今ならこんな工夫もできたかもしれないという点を書いています。

今から習い事を始めたい人に必見の内容となっています。

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ピアノ

ピアノは、3歳から12歳まで習っていました。

母のすすめが切っ掛け

小さい頃の私は、歌ったり踊ったりすることが大好きで、家の中でも外でも、ところかまわずリズムに乗って遊んでいました。その様子を見た母が、家にあったエレクトーンやピアノに触らせてみると、私は喜んで音を鳴らして遊びだしました。

そこで、近所のピアノ教室に連れていってくれたのです。そのピアノ教室の先生は、【ピアノを弾く】ということより、まず音楽が好きな気持ちを大切に育てたいと考え、音を鳴らして遊んだり、好きな歌を歌わせてくれたり、楽しく自由なレッスンで楽しませてくれました。

そのおかげで、ピアノ教室に行くと楽しい事がある!と思うようになりました。

ピアノを続けるためのサポート内容

弱視の私がピアノを習い続ける上で、母の協力がとても大きな支えとなっていました。

視力が0.01ほどの私にとって、標準サイズの楽譜はとても小さくて見えづらかったため、母は全ての楽譜を手書きで大きく書き写してくれました。

ピアノを一曲覚えるときは、先生とのレッスンで音を覚えてから、母が作った大きな楽譜を顔に近づけて見て、ある程度覚えたら弾く、また顔を近づけて覚えて再び弾く、というような流れを繰り返して練習していました。

また、ピアノの鍵盤は、指で位置を覚えられるので、見えない・見えにくい人でも練習すればぐんぐん上達します。発表会にも何度か参加し、舞台の上で弾く楽しさも経験しました。

練習は大変でしたが、難しい曲も頑張れば弾けるようになるんだ!という自信や暗記力がついて、習い続けて良かったと思っています。

そろばん

そろばんは、小学校1年生から6年生まで週2回習っていました。

そろばんを継続していくための工夫

そろばんをするときは、テキストに顔を近づけて覚えてから、そろばんをはじいていました。そろばん自体はとても見えにくいのですが、指の感覚ではじいていたので、見えにくさを気にせずに学習していました。ピアノ同様、指の感覚で覚えていく作業が私には合っていました。

6年間週2回そろばん教室に通うことで、集中力がつき、計算するスピードが速くなったことが習って良かった点です。

書道

書道は、小学校2年生から6年生まで習っていました。

毛筆はできたが硬筆はできなかった

毛筆は、大きな半紙に大きな字を書くので、弱視の私でも楽しく書くことができました。

反対に硬筆は、小さな文字を書かなくてはならないため、拡大読書器がない書道教室では私にはできませんでした。

また、毛筆でも名前は小さく書かなくてはならないため、上手に書く難しさを感じていました。子どもの頃の私は、このようなできること・難しいことを言葉に出して伝えることが苦手だったので、困ったことがあっても我慢するしかなかったのですが、今ならもっと工夫ができるのではないかと考えています。

今だからこそ「書道で工夫できたかもしれない」と感じる点

例えば、視覚障害があって名前を書くのが難しいのなら、もう少し大きい半紙にしてもらって、大きな字で名前を書くこともできるでしょう。

また、書道教室で硬筆ができなければ、自宅の拡大読書器で書いたものを提出するという方法もあります。

工夫や配慮をしていただいた上で、大人になった今、もう一度習いたい習い事の一つです。

英語・英会話

英語は、小学校6年生から高校3年生までマンツーマンで習っていました。

小学校・中学校時代は、先生のご自宅まで通い、高校生になってからは自宅に家庭教師として来ていただいて学びました。

英語は集団で学ぶよりも個別で学ぶ方が私には合っていた

毎週の英語教室では、挨拶や日常の出来事を話す英会話から始まり、続いて学校の予習・復習をするという流れでした。勉強の方法やノートの取り方も英語塾の先生から教えていただいたおかげで、その勉強方法で大学まで学び続けることができました。

分からないことを何度でも確認でき、理解するまで教えて頂ける個別塾は、私にとってベストな環境でした。弱視の私にとって、集団で学ぶよりもマンツーマンで学ぶ方がしっかりと英語を理解することができ、英語は全教科で一番得意な科目となりました。

新体操

中学校の3年間は新体操部に所属して、個人競技のリボンを踊っていました。

新体操で唯一できたものがあった

新体操の種目には、フープ・ボール・クラブ・リボン・ロープがありますが、どれも弱視の私には使いこなすことが難しいものばかりでした。しかし、リボンだけは私のわずかな視力でも目で追いやすく、他の種目よりは使いこなせました。

いくら練習してもできない種目ばかりで悔しい思いも沢山しました。自宅にボールを持ち帰って、狭いリビングで練習したこともありました。それでも上手くいかなくて泣くこともありました。

だからこそ、他の種目や団体競技は難しくても、個人競技のリボンなら、見えづらさを感じながらも、楽しく踊ることができるとわかったときは、心の底から嬉しかったことを覚えています。

とても厳しい部活動でしたが、頑張ってよかった経験の一つになりました。

合唱

高校では1年間合唱部に所属していました。2年目以降は、人数が少なくなり、活動ができなくなったため、1年間の所属でした。

元々歌うことが好きだったので、ただただ楽しい時間でした。

YOSAKOI踊り

大学では3年間、YOSAKOIソーランサークルに所属して、YOSAKOIを踊っていました。

100人以上の仲間と合わせて踊ることは、見えづらい私にとって難しさもありましたが、人一倍練習をし周囲の人と合わせて踊れるように努力を重ねました。

YOSAKOIの踊りを覚えることは、簡単なことではありません。細かい動きや、スピード感のある動きを覚えてなければならないうえに、周囲の人と合わせることも必要でした。

そのため、普段の練習以外にも個人的に練習する時間も作り、先輩や友人たちに教えてもらうようにしました。踊りの難しさや練習の厳しさに泣くこともありましたが、最後まで諦めずに練習を続け、仲間と一緒にYOSAKOIソーラン祭りで踊ることができました。

料理教室(料理、パン、お菓子)

大学3年生の頃から、大手料理教室の料理・パン・お菓子コースの教室に通っていました。

当時の私は料理が全然できなかったので、料理ができるようになりたいと思ったことがきっかけでした。

どのコースも、4~6人の集団レッスンでしたが、先生が一人一人にやることの指示を出しながら丁寧に教えてくださったので、レッスンについていくことはなんとかできました。

見えにくいゆえに難しかったこと

しかし、目が見える人前提のレッスンなので、測りの目盛りが見えなかったり、調理器具を上手に使えなかったり困る場面もありました。

私が作業する部分は先生のフォローを受けながらレッスンをすることはできましたが、マンツーマンで学べた方がもっとしっかりと身に付いたかもしれません。

ホットヨガ

ホットヨガは10年前に数か月習って楽しかったので、最近再び習い始めた習い事です。

ホットヨガスタジオは、1クラス20人前後の人数でレッスンを受けます。私は、ヨガのポーズが少しでも見えるようにインストラクターさんのそばに場所を取るようにしています。

ヨガ教室で工夫したこと

ヨガポーズは、インストラクターさんのそばなら、大きなポーズはなんとなく見えます。手の動きや足の動きといった細かいポーズは、正確に見えません。

「ヨガをして運動不足やストレス解消をしたい」ということが目的なので、細かい動きが多少違っていても気にしないようにしています。他の人と全く同じように楽しむことはできなくても、自分なりの楽しみ方ができればそれで充分、そう思うからです。

まとめ

小さい時から沢山の習い事を経験してこれたのは、「やりたい!」という気持ちを大切にしてきたこと、そして何よりそれを否定せず応援してくれた家族や友人、周囲の人のおかげです。

視覚障害があるから難しいことも沢山ありますが、工夫次第や楽しみ方次第で挑戦できることは沢山あります。

今回紹介した工夫した点をまとめると次の通りです。

  1. ピアノの楽譜が見えなかったら自分なりの楽譜を作る
  2. 硬筆もできるように拡大読書器を利用する
  3. 集団で踊りができるように個別で練習を重ねる
  4. 完璧にできなくても自分ができる範囲で楽しむ

習い事や部活動を通して、このような自分なりのやり方や楽しむ方法を見つけていくことが大切だと学びました。

障害があるとついできないことに目がいきがちになります。ですが、できるかできないかをまず考えるのではなく、やってみたいという気持ちを持つことが何より大事なのだと、これまでの経験から感じています。

目が見える人も見えない人も、耳が聞こえる人も聞こえない人も、誰もが工夫したり配慮をしてもらいながら、様々な事に挑戦していってほしい、どんな人もやりたいことを楽しめる世の中であってほしいと心から願っています。

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With Blindでは視覚障害者を含むメンバーで「見えても、見えなくても」をコンセプトに日常や視覚障がいに関する記事を書いています。

その中でも「見える人へ」の記事はぜひ多くの方に読んでいただきたい記事になるので、多くの方に届くと嬉しいです!

この記事を書いた人

名前:リコ
年齢:30代
性別;女性
家族構成;夫・小学生の息子・トイプードル
障害;オーディトリー・ニューロパシー 視覚障害(弱視)・聴覚障害(難聴)

2023年11月からライターとしてWith Blindに参加。
本業で働きながらも、自身の障害についてWith Blindなどで発信を続けているママさんライター。

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