手を貸してくれてありがとう。でも、ちょっと待って。

手を貸してくれてありがとう。でも、ちょっと待って。当事者が語るちょうどいいサポートのかたち 考え方
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当事者が語る「ちょうどいい」サポートのかたち

こんなことを書くのは、少し勇気がいります。

支援してくれる人への文句を言いたいわけではありません。

むしろ、助けてもらってきたことへの感謝は本物です。

でも、「ありがとう」と言いながら、心のどこかで「あれ、なんか違うな」と感じた経験が、何度もあります。

私は訪問看護師として、視覚障がいのある方の生活に関わってきました。

その中で、利用者さんから直接聞いた言葉や、支援の現場で感じてきたことを、できるだけそのままお伝えしたいと思います。

責めるためではなく、一緒に考えるために書きます。

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“やってあげた”が、私の”できる”を奪っていく

まずは、相手の目線になって呼吸を整える。

居宅介護や同行援護のサービスを使っていると、支援者の方がとても一生懸命でいてくれることが伝わってきます。

声をかけてくれる、先回りして動いてくれる、危なくないように気を配ってくれる。その気持ちは、ありがたいと思います。

でも、ときどき「あれ、それは自分で決めたかったのに」と感じる場面があるようです。

たとえば、飲食店での出来事。本人の希望を確認しないまま、席へ案内されてしまうことがあります。視覚障がいがあると周囲の状況がつかみにくいことはありますが、だからといって、どこに座りたいかまで全部決めてほしいわけではありません。入口に近い席がよい人もいれば、壁側が安心できる人、トイレに行きやすい席を希望する人もいます。「奥の席と入口に近い席がありますが、どちらがよいですか?」と一言聞いてもらえるだけで、自分で選べているという安心感がまったく違ってきます。

食事の場面でも同じようなことがあります。聞いていないのに、目の前の料理をすべてクロックポジションで詳しく説明されることがあります。もちろん、配置を教えてもらえると助かる場面もあります。でも、必要かどうかは人や状況によって違います。毎回すべての説明を聞いていると、温かい料理が冷めてしまうこともありますし、以前にも食べたことのある料理であれば、詳しい説明が不要なこともあります。「説明しましょうか?」と一言聞いてもらえるだけで、ずいぶん変わります。

階段やエスカレーターの場面でも、頼んでいないのに急に体を支えられる、ということがあります。視覚に障がいがあっても、足腰はしっかりしている方がほとんどです。いきなり体に触れられると、驚いたり不安に感じたりすることもあります。まず「段差があります」「右側に手すりがあります」と言葉で伝えてもらえると安心できることが多いです。それでも心配なら、「上り階段ですが、何かサポートは必要ですか?」と確認してもらえると、とても自然な関わりになります。

こうした場面に共通しているのは、「助けようとしてくれていること自体はありがたい」という気持ちと、「でも、確認してほしかった」という違和感が同時にある、ということです。

善意からの行動が、相手の主体性をそっと奪ってしまっていることがあります。

私がうれしかったサポートには、共通点があった

一方で、「このサポート、本当によかった」と感じた場面も、たくさんあります。

同行援護で外出したとき、支援者の方が最初にこう聞いてくれたそうです。

「今日はどんなふうに過ごしたいですか?」

たったそれだけなのに、すごくほっとした、と話してくれました。今日の主役は自分なんだと、自然に思えたそうです。

うれしかったサポートを振り返ると、共通点が見えてきます。

まず、聞いてくれる。 やる前に確認してくれる。「どうしますか?」のひと言が、選択肢を渡してくれます。

その人のやり方を尊重してくれる。「いつもはどうやってるんですか?」と興味を持ってくれる。自分のやり方を否定されないと、安心して「こうしてほしい」が言いやすくなります。

“支援”より先に”会話”がある。 障がいへの対処より先に、その人自身への関心がある。それだけで、関係性がぐっとやわらかくなります。

サポートって、実は”情報を渡すこと”なんじゃないかと思う

押しつけではない、ちょうどいい距離感って?

同行援護の場面でよく感じるのですが、視覚障がいのある方にとって支援者がしてくれる一番ありがたいことって、「情報を渡してくれること」なんじゃないかと思います。

視覚から得られる情報を、言葉にして届けてくれること。それだけで、できることの幅がぐっと広がります。

「左手に段差があります」「前方に人が多いので少し待ちましょうか」「このお店、入り口が少し狭めですが中は広いですよ」──そういう情報があれば、次に自分がどう動くかを考えられます。情報をもとに、自分で選択できます。

逆に、情報なしにいきなり体を誘導されると、自分が「どこにいて」「何が起きていて」「次に何をすべきか」がわからなくなります。選択する前に、行動が決まってしまいます。

「何かしてあげなきゃ」よりも「何が見えているかを伝えよう」

その発想の転換が、関わり方をぐっと自然にしてくれます。情報を渡すことは、受け身な支援ではなく、その人が自分で動けるようにするための、積極的なサポートだと思います。

何もしないでいてくれる、がいちばん難しくて、いちばんうれしい

支援者と一緒にいるとき、相手がずっと気を張っているのが伝わってくることがあります。

「何かしなきゃ」「見ていなきゃ」「役に立たなきゃ」という空気。気持ちはわかります。でも、それがかえってプレッシャーになることもあります。

「大丈夫ですか?」と何度も聞かれると、大丈夫でも「大丈夫じゃないのかな、私」という気持ちになってきます。何か困ったことが起きるたびに先回りされると、「困ること自体がいけないのかな」と感じてしまうこともあります。

一番うれしかったのは、「何かあれば言ってください」と言って、あとはただそこにいてくれた支援者だ、と話してくれた方がいました。

沈黙が気まずくなく、「待つ」ことを自然にやってくれた。「ちょっとここで確認したい」と言えば、「どうぞ」と待ってくれた。それだけで、すごく安心できたそうです。

一緒にいること自体が、支援になります。何もしていないように見えて、その「いる」という存在が、その人の行動の土台になっています。そういう伴走のかたちが、私は好きです。

社会全体でできること──”勝手な親切”を”心地よい配慮”に変えるために

ここまで読んでくださった方に、最後にお伝えしたいことがあります。

「必要であれば説明しますね」「お席の希望はありますか?」「お手伝いしましょうか?」──この一言があるだけで、関わり方はずいぶん変わります。

難しいことではありません。相手に確認してから動く、それだけです。

視覚障がいのある方への支援は、居宅介護や同行援護のような専門的な場面だけで起きるわけではありません。飲食店のスタッフ、駅員、近所のお店の人、職場の同僚、友人。日常のあらゆる場面で、誰もが関わり合っています。

「障がいのある人を助けなければ」と構えるより、「この人は今、何を必要としているんだろう」と考える。その視点の転換が、相手にとっての心地よさにつながります。支援する側・される側という非対称な関係の中でも、お互いが自然体でいられる関わり方は、きっとあります。

With Blindが大切にしている「みえても、みえなくても」という言葉は、見えるかどうかに関係なく、同じ人間として関わり合えるという意味です。その感覚を、支援の場だけでなく、社会のあちこちに広げていけたらと思っています。

あなたが隣にいてくれるから、行けなかった場所に行けた。やれなかったことに挑戦できた。そういう瞬間が、確かにあります。だからこそ、その関わり方が「ちょうどいい」ものであってほしいと思います。

With Blindでは、仲間と利用者を募集しています

お互いが心地いい、これからの関係性。

この記事を読んで、「一緒にやってみたいかも」と思ってくださった方へ

With Blindでは現在、同行援護ガイド・居宅介護サービススタッフを募集しています。毎週固定のシフトでなくても大丈夫です。月数回から、学生・主婦・副業の方も歓迎しています。視覚障がいのある方の外出や生活に関わってみたい、そんな気持ちがあればぜひのぞいてみてください。

スタッフ募集要項はこちら

また、同行援護・居宅介護サービスの利用を検討している方も、お気軽にご相談ください。「使い方がよくわからない」「どんなサポートが受けられるの?」という段階からでも、一緒に考えます。

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「みえても、みえなくても」、ともに動ける仲間が増えることを楽しみにしています。

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